
かつて日本の家は低く深い軒を持っていました。それが、近代化の名のもとに経済主義やグローバル化が浸透するにつれて、その軒先は浅く高くなっていったといわれています。
昨今では、軒も庇もまったく見当たらない家もあるほどです。しかし、雨も降らず木陰も必要のない国のことならいざしらず、夏はアジアモンスーン、冬はシベリア寒気団、亜熱帯に近いおびただしい雨量、日本有数の日照、高温に多湿といった、
この南九州地方の風土にあっては、はなはだ無謀極まりない家だと言わざるを得ません。これは日本や自分たちの地域文化をないがしろにして、欧米の文化を無節操に受け入れてしまった結果だということに尽きると思います。
もともと日本の家は日本独自の『自然との共生』という民族的体質の上に成立し、進化してきました。
自然を受容し、同調し、それを日常にたくみに取り入れ、生活文化という領域にまで昇華させてきたのです。
だからこそ伊勢の神殿はパルテノンに比肩し、桂離宮はヴェルサイユ宮を悠々と超えることが出来るのです。
かつて日本の文化と建築に多大な影響を受けたアメリカの世界的建築家
F・Lライトは、『日本人は地上のどの文明人種にも先がけて、その住居では数百年も前から有機的建築の理想に
近づいている※1』と言っています。
『有機的』つまり言い方を変えれば『自然との共生』ということになります。
F・Lライトが言及し評価した有機的つまり『自然との共生』という、「どの文明にも先がけた建築の理想」は、
いまや見る影もありません。その民族が長い歴史の中で築き、つみ重ねてきた『家』や『住』の伝統や木の文化を、
これほど短期間に放棄しようとしている民族を私達は知りません。
たぶん、欧米の文化の流入とともに、『経済主義というグローバル化』という見えないブルドーザーが日本を一律に均(なら)していったのは間違いありません。
その結果、この地域の風土自然にも背を向けた、どこか無国籍風であじけない、
まるで映画の仮設スタジオのようによそよそしい虚構的な町並みが、日本のあちこちに出現するに至ったのです。室内環境にしても、ほとんどが機械的設備に中毒的にたよっているのが実態です。
そのような現実から、私たちはこの地にもう一度F・Lライトの言う『有機的』、
つまり自然と共生する住まいをつくることをめざそうと考えました。居丈高に自然と立ち向かう家ではなく、
身の丈を低くして大地や風景にとけこむような家。天に聳え立つ破風を仰ぎ見る家ではなく、人や自然や周辺に手を差しのべたような深い軒(のき)をもつ家。近隣に異彩や個性を放つ家ではなく、まるで、この土地の風土自然から生え出たような簡素な家。
室内の環境についても、機械的設備になるべくたよらず、自然の摂理や地域や土地や環境が持つ微細な特徴や微気候※2までも、持続可能な設計技術により、ここちよい住まいとして、その効果をつくり出していく。つまり夏には涼しい緑陰を、冬には陽だまりのような暖かさを、可能な限り内部環境に取り入れていき、かつて
『どの文明人種にも先がけた建築の理想』を再びめざしていく・・・。
そのような家づくりを総称して『深軒の家−ふかのきのいえ』と私たちは名付けました。
なぜ深軒なのか、それが『自然との共生』やF・Lライトの言う『建築の理想』とどのように繋(つな)がっていくのか、少し整理してお話し、既に家を建てた方には再確認を、これから家を建てようとする方には、少しでも地域における家づくりへの
理解を深めていく縁(よすが)となればそれに尽きることはありません。
※1 『ライトの生涯』、オルギヴァンナ・L・ライト著 遠藤楽・訳P.77
※2 微気象(びきしょう)・地表に起こる大気の現象や地表面での熱の出入りなどの状態。